7月12日は「ラジオ本放送の日」です。1925年(大正14年)7月12日、東京の愛宕山・東京放送局(現NHK)が日本初の本格的なラジオ放送を開始し、声と音楽が全国に一斉に届けられる新時代の幕開けとなりました。この日を機に、ラジオが切り拓いた“縁の力”や“癒しの声”を振り返りつつ、仏教の「縁起」「無常」「慈悲」「正念」の教えに重ね合わせて、その意義を考えてみましょう。
【出典元・引用】 「ラジオ本放送の日とは?7月12日の記念日の意味を解説」
https://bestcalendar.jp/articles/2967

歴史的背景とコミュニティ創出

1925年3月22日の試験放送を経て、同年7月12日17時から本放送がスタートしました。当初はニュース、講演、音楽番組がわずか1時間。受信契約は3,500件にとどまりましたが、家庭のラジオが鳴り響くと同時に、新聞や電話では得られない“生の声”による臨場感が全国を駆け巡りました。遠く離れた農村にも同じ番組が同時に届き、人々はラジオを通じて互いの存在を感じ、初めて「社会的な一体感」を共有しました。この体験は、ただの情報伝達手段を超えて、心の絆を育むコミュニティ・メディアの原点となったのです。

縁起の教え――声でつながる依存関係

仏教の「縁起」は、「すべては相互に依存しつながる」という真理を説きます。ラジオ放送もまた、送信機・電波・受信機・番組制作スタッフ・聴き手の意識という多様な要素が絡み合い、一瞬の声を生み出します。番組の尺(しゃく)や構成を練るディレクターの想い、技術者の電波調整、受信機を手にするリスナーの期待—allが縁起によって結びつき、目に見えない「声のネットワーク」を完成させるのです。さらに、同じ番組を聴いた家族や隣人が会話を交わすことで、地域コミュニティが形成され、やがてイベントや募金活動など社会的アクションへと連鎖します。まさに「縁起」の教えが、メディアを通じた共生社会の礎を示しています。

無常の教え――消えゆく音の美学

「無常」は、すべてが常に移り変わると説きます。ラジオで一度流れた音声は二度と同じ形で再現されず、その瞬間がいちばん輝きます。ニュース速報や生演奏、インタビューなど、生放送ならではの“瞬間の尊さ”は、まさに無常の表現です。録音音源を後から聴き返しても、その場の空気感やパーソナリティの声のかすれまでは再現できません。無常の教えを胸に、今この一瞬の声を大切に聴くことは、現代の“情報過多”の中でこそ価値ある習慣と言えるでしょう。

慈悲の教え――声による癒しと支援

仏教の「慈悲」は他者への思いやりを説きます。ラジオは、災害時の緊急情報、医療相談、メンタルヘルス番組など、社会的弱者や被災者を支える“声の窓口”として機能してきました。被災地ではワンセグやインターネットが遮断されても、AMラジオが頼れる情報源となり、孤立した人々に安心と希望を届けます。また、コミュニティFMで高齢者向けに放送される歌謡番組や体操教室は、声によって孤独を癒し、生活リズムを整える役割を担っています。声には、画面以上に深い“共感”と“安らぎ”を生む力があるのです。

正念の教え――聴くことの瞑想性

「正念」は、今この瞬間に注意を向ける修行です。ラジオをただ“ながら聴き”するのではなく、一音一句に心を集中すると、番組の細部やパーソナリティの“息づかい”をしっかり受け止められます。イヤホンで声をじっくり聴き、テキストでは得られない間(ま)やニュアンスを感じる――このような“正念リスニング”は、雑念を払い、自己と向き合う瞑想的なひとときとなります。結果として、コミュニケーション力や共感力が高まり、日常生活にも平穏と深みをもたらします。

現代の展望とメディア共生

インターネットラジオやポッドキャストの隆盛で“声の選択肢”は増えましたが、7月12日の本放送の精神である「一斉性」と「ライブ共有体験」は色あせません。地域放送局の情報発信や、チャリティ番組での募金呼びかけなど、声が行動を喚起する機能は今も強く求められています。特にAIやデジタル技術の導入による“個別最適化”と相まって、本放送が担ってきた「共時性」の価値はさらに高まるでしょう。リスナーはマルチデバイスで自分に合った番組を選びつつ、全国・全世界と“声の縁”を紡ぎ続けることができます。

「ラジオ本放送の日(7月12日)」は、技術革新と人間的つながりが重なる記念日です。仏教の「縁起」「無常」「慈悲」「正念」の教えが示すように、声は人と人を無形につなぎ、刹那の瞬間に慈しみと気づきを与えます。ぜひこの日を機に、お気に入りの番組をじっくり“正念”で聴き、心がほどけるひとときを味わってみてください。